シルヴィア・ヴァルトシュタイン:孤狼の刃 ―剣の向くままに―

第1章 女ツヴァイハンダー使いのとある日常――

 乾いた風が、丘陵地帯の草をざわりと揺らした。空はどこまでも青く、遠くの森はまるで絵画のように輪郭がくっきりしている。その向こうに広がる小さな集落は、今日も静かだった・・・はずだった。

「おいおい、こんな昼間から村荒らしか?暇なんだな、あんたら。」

のんきな声とともに、ひとりの長身の女性が道の真ん中へ歩み出る。陽を受けた茶色の髪が風にたなびき、背には常人なら両腕で抱えてやっと持てるほどの巨大な両手剣――ツヴァイハンダー。

シルヴィア・ヴァルトシュタイン。

用心棒にして流れ者、気まぐれで豪快、そして喧嘩はめっぽう強い。

彼女の足元には、すでに一撃で伸びているならず者が二人転がっていた。ほんの“手慰み”の一撃で。残りの三人が怒鳴りつつも目を泳がせている。

「な、なんだこの女・・・力が桁違いじゃねえか!」

「ひぃっ、さ、さっきの一振りで・・・!」

残る三人が慌てて武器を構える。シルヴィアは肩をすくめ、舌打ちした。

「ほら、まだ三人も残ってんだ。頼むから、ちっとは楽しませてくれよ。」

次の瞬間、彼女の背中の剣が抜かれ、風を裂いた。

ギィンッ!!

重さを感じさせない鋭い一撃が、目にも留まらぬ速さで襲いかかる。剣を受けた男は、衝撃だけで吹き飛び、地面を滑った。

「くそっ、囲め!」

「囲んだところで意味ねぇっての!」

シルヴィアは心底楽しそうに笑い、剣を水平に構える。ただ半歩踏み出しただけで、空気が震えた。

「う、動け・・ねぇ?」

男たちの身体が金縛りになったように固まる。その隙を逃さず、シルヴィアは一気に踏み込んだ。

「おらっ、寝てろ!」

ドゴォッ!

剣の腹で殴り飛ばされた男が、木の根元まで滑って消える。もちろん殺してはいない。ギリギリの手加減だ。

あっという間に五人全員が地に沈んだ。

「ふう。これで今日の仕事は終わりっと。」

剣を背に戻しながら、大きく伸びをする。そこへ村長が慌てて駆け寄ってきた。

「し、シルヴィアさん!ありがとう、ありがとう!あなたが来てくれなければ、わしらは」

「はいはい、礼はいいっての。金だけきっちり払ってくれりゃ文句ねぇよ」

「そ、それなのですが、今回の報酬は、これで。」

村長が差し出した革袋は、どう持っても軽い。シルヴィアは眉をひそめ、中身を覗くと、中には金貨は入っておらず、銀貨が数枚、あとは粗雑な銅片がじゃらりと音を立てた。

「これっぽっち?」

「ほ、ほら、ここ最近は交易路が荒れててね。物入りだったもんで、本当に申し訳ない。」

「ったく、まあいいよ。生きてりゃ、また仕事あるだろ」

シルヴィアは革袋を懐にしまい、笑ってみせた。

「じゃ、あたしはギルドに戻るわ。次はしっかり稼がせてくれよ、おっちゃん。」

「ありがとう!本当にありがとう!」

村人たちが手を振る中、シルヴィアは気ままな足取りで街道へ向かって歩き出す。両手剣が骨太に揺れ、陽光に反射してきらりと光った。

これが、彼女の日常。

金のためでもなく、名誉のためでもなく、誰にも靡かず、ただ「風の向くまま、気の向くまま」に剣を振るう日々。

だが、この時のシルヴィアはまだ知らなかった。自分の運命を大きく揺るがす「始まり」が静かに近づきつつあることを。

 

第2章 ギルドは今日も騒がしい

 森の中にひっそりと佇まうギルド「ハルバードの灯」、石造りの重い扉を押し開けた瞬間、シルヴィアは思わず目を瞬いた。

――うぅおりゃあぁぁ!!!。

昼間とは思えないほどの大騒ぎ。テーブルの上では獣人が踊りまくり、梁からぶら下がる双子の盗賊が下に向かって豆を投げつけ、カウンターでは酔った魔導鍛冶師が何故か説教されている。

「・・・なんで帰ってきた瞬間に混沌なんだ、ここは。」

小さくため息をついたとき、背後から声が飛んだ。

「シルヴィアぁぁ!帰ってきたのか!」

樽を肩に担いだ大男ガルドが、満面の笑みで飛びついてきた。腕を広げる気満々。

「来るな!!抱きつくんじゃねぇ!!」

シルヴィアは素早くステップし、寸前でかわす。ガルドは滑って転び、そのまま樽ごと地面に落下。

――ドォォン!!

樽が割れ、酒の匂いがギルド中に広がる。

「や、やべぇ・・・サラ姐に殺される。」

「今のは見なかったことにしよう!!俺の目は絶賛、白内障中だぁあっ!」

騒ぎは加速する。

「こらぁぁぁぁ!!!!!」

扉が思い切り開き、ギルドマスター・サラが仁王立ち。赤髪をなびかせた怒りの女神。

「昼間から何回騒ぎ起こせば気がすむのよアンタら!!?」

全員がビクッとなるが、一瞬で再び騒ぎへ逆戻り。

「マスターがきたぞ!逃げろー!!」

「今日の雷撃はいかほどか!?全治2か月で済むか!?」

「いや!煽るな!!」

「アンタたちぃぃぃ!!!!!」

サラの雷撃がギルドの一角を白く照らす。

「誰だ?誰が真っ黒こげだ?」

「俺はまだ飲む!死ぬまで飲んでやる!!」

「だれかガルドを止めろ!いや無理だな。置いてにげろぉ~!」

シルヴィアは頭を抱えた。

「ただいまって言う気すら削がれるわ。」

 

 騒ぎを避け、シルヴィアはカウンターへ向かう。

受付嬢のミーナが心配そうに出迎えた。

「帰還おつかれさまです、シルヴィアさん。あの・・・依頼の報酬、やっぱり、少なかったですよね」

「少ないっていうか、風に持ってかれそうなくらいだったぞ。もう少しくらい色つけてくれても良くないかねぇ?」

ミーナは困り顔。

「ギルドの資金が厳しくて・・・次の依頼で巻き返せるといいんですが。あ、そうだ!」

ミーナは新しい依頼書を差し出した。

 

(魔樹の森)調査依頼

~最近、魔力の流れに“異常な揺らぎ”あり。原因調査を急募~

 

「シルヴィアさんにぜひ、とマスターが」

「サラが?妙な事もあるもんだね・・・危険度は?」

「低いはずなんですけど・・・“妙なざわつき”って報告が何件か」

そこへガルドが酒臭い息を吐きながら割り込んでくる。

「シルヴィアぁぁぁ!俺も森行く!!森で飲む!!」

「もう既に飲んでんだろうよ。外で恥かくな!」

さらに、梁から落ちてきた双子の片割れが飛び起きる。

「シルヴィア姐さん!私たちも行くー!!」

「お前らが来ると死ぬほど面倒が増えるんだよ!手癖悪すぎなんだよ!!」

「ひどーい!!」

と、そこへ一落ち着きしたサラがやってきた。

「その依頼、アンタなら行けるんじゃないかと思ってね、前から森の魔力が変なの気になってたのよ。慎重にね。」

「ん。ま、お前がそう言うなら、しゃーねーな。」

シルヴィアは依頼書を折り、腰のポーチにしまった。

それを見て、仲間たちが騒ぎながら手を振る。

「シルヴィア行ってらっしゃーい!!」

「魔物しばいてこーい!!」

「お土産よろしく!!」

「だからお土産を頼むな!!」

だが不思議と、胸の奥がほんのり温かく感じる。と、その時、酒場のオーナーが姿を現してポツリと一言放った。

「お、そうそう!危うく言い忘れるところだった。お前に会いたい人物が来てるらしいぞ!オフィスで待ってると。」

オーナーの言葉に、一瞬真顔になったシルヴィアだったが、すぐにいつものあっけらかんとした表情に戻って。

「あー、了解。そっちが優先ぽいな。すぐ行くと伝えといてくれ。」

どんちゃん騒ぎのギルドを後にして、颯爽と北部方面へ向かうのだった。

 

第3章 ベルリンの影──封じられた剣の噂

 シルヴィアがギルドを出発してから二十一時間後、北東へ約五百四十キロ。ドイツの首都ベルリンのオフィス街に、ひときわ高くそびえるビルがあった。

QLP(Qualität Liefer Partner)合同企業。

その最上階へ向かうエレベーターに、一人の女性が乗っている。ほかでもない、シルヴィア・ヴァルトシュタイン。しかし、その姿は昨日まで剣を振るっていた女傑とは似ても似つかない。濃紺のスーツ。整えられた髪。知的に光る眼鏡。見るからに“現代社会のビジネスウーマン”だ。

「やれやれ・・・“こっち”の格好は窮屈で仕方ねぇな。」

小さく舌打ちして、軽く首を回す。エレベーターが最上階に到着すると、静かな応接フロアにひとりの人物が立っていた。

その様相は、男性か女性かもわからない、歳若いのか老人なのかも分からない、全身に梵字のようなタトゥーを施してる異様で得体の知れない存在であった。

「お初にお目にかかります、ヴァルトシュタイン嬢」

柔らかく微笑みながらも、声はどこか空気を震わせるような響きを持っている。

「んだよ、コイツ “イナレ”のやつだな。なんでわざわざ“アイサガ”に出てきてんだよ。」

心の中で呟いていたシルヴィアの苛立ちをよそに、人物は上品な仕草で続けた。

「噂はかねてより。たいした豪傑だと聞き及んでおりますよ。」

「お世辞はいいから要件を言えよ。」

「では手短に。あなたに頼みたいことがあるのです。」

次の瞬間――声ではなく、頭の内側に直接、言葉が響いた。

「我々も色々と秘密事が多くてね。このような形で接触させてもらっている。驚かずともよい。PNAに関わらずとも、ある程度訓練すればこの程度の念話は可能なんじゃよ。」

「ちっ・・・勝手に頭ん中入ってくんじゃねぇよ。」

「ふふふ。さて、早々に本題じゃが、ここに記した場所に、古城があってな。その内部に“剣”が一本ある、長い時を眠り続けた、特別な剣が。是非、おぬしの手でこれを入手してほしい。安心せい、それなりの礼ははずむ。」

差し出された紙に記された住所を見て、シルヴィアは大きく目を見開く。

「なっ!これは”アイサガ”の領域じゃねーかよ。なんで私にこんな依頼を・・・?」

「言っておるじゃろ。我々の都合上、公にできない事情があるんじゃ。」

「知るかよ。こちとら用心棒の仕事で食ってってんだ。んな訳わかんねぇ宝探しに付き合ってられっかよ!」

言い捨てるように背を向け、エレベーターへ歩く。

「まぁ、考えてみることだ。なにかあれば連絡してくれ。」

返事はせず、エレベータの扉は閉まる。

 

時を遡る事、十五年前、2005年12月。ドイツの富豪らは巨額の投資によって、現実世界にゲームのファンタジーワールドを再現するというプロジェクトを発足した。

その名もProjekt Neue Ära(プロイェクト・ノイエ・エーラ)。

バーデン=ビュルテンベルク地方の広大な森林地帯を丸ごと買い上げ、完全閉鎖し、遺伝子操作で造り上げた異形の魔物と剣や防具や魔法、そしてギルドを模した“もう一つの世界”を作り上げた。

しかし、三年後に訪れたリーマン・ショックにより出資者は次々と没落し、プロジェクトは瓦解。治安は崩壊し、ならず者が流れ込み、行政はそれを“特別保護区域”として封鎖した。

こうして

・イナレ(インナー):内部世界

・アイサガ(アウター):外部世界

は完全に隔絶され、限られた者だけが行き来を許された。

 

シルヴィアの父、ゲーアハルト・ヴァルトシュタイン卿はかつてPNAの立ち上げの際にも協力しており、その縁で娘であるシルヴィアも例外的に双方向の通行を許された存在だった。

しかし、

「こっちの世界はどうも性に合わねぇ」

そう言って、彼女はほとんどを“イナレ”で過ごすようになり、生まれ持った身体能力を活かして、やがて“用心棒シルヴィア”として名を馳せるようになった。

 

QLPから戻ってきた数日後、「(魔樹の森)調査」の依頼を終えたシルヴィアはギルド併設の酒場でぼんやりとグラスを傾けていた。テーブルの上には空になったテキーラ用のショットグラスが十を越えて転がっている。

「アイツ・・・。一体何者だったんだ?」

梵字タトゥーの人物のことを考えても、答えは出ない。そんなとき、隣のテーブルからくだを巻いた声が耳に飛び込んできた。

「なぁなぁ、知ってっか?”ソウルエッジ”って呼ばれてる剣のこと。」

「なんだそりゃ?」

「俺が“アイサガ”にいた頃の話だがよ。どこぞの古城に、代々渡り歩いてきた剣があるらしくてな。」

シルヴィアの手が止まった。

「ん?城・・・、剣・・・?まさか!?」

「その剣は中途半端なヤツが手にすると、剣に魂を喰らい尽くされ廃人となってしまう。んが!強靭な精神の持ち主であれば、とてつもない強さと運と権力を手に入れ、とある時代には一国の王となり、代々栄華に輝いたものもいるらしい。」

「へぇ。にしても”アイサガ”の話だろ?行きたくても行けねぇ場所だ。政府に捕まって終わりだ。」

「だよなー。だけどそれが手に入ったら、俺も大金持ち一直線よ!酒も女もウハウハだぜ!」

「寝言ばっか言ってねえで依頼のひとつでもこなせよ。日々の酒代ぐらい稼ぎやがれ!」

ただの酔っ払いの戯言。だが、シルヴィアの頭の中で、ひとつの線が繋がった。

「まさか。アイツの“依頼”・・・この剣のことか?」

彼女はグラスを置き、すっくと立ち上がった。

「おもしれぇ。そんならこのあたしがその剣を見つけ出し、逆にその剣の魂を喰らってやるよぉ!!」

「おおぉ!!やる気だなぁ!俺も行ってやる!俺にも(肉)食わせろぉ!!!」

どこからともなく現れたガルドが呼応するかのように立ち上がり、木樽のジョッキを高らかに掲げ・・・そのままスローモーションで仰向けに倒れて、豪快なイビキをかいて眠り始めた。

「はぁ・・・。まぁいいや。ほっとこ。」

酔いつぶれたガルドを跨ぎ、シルヴィアは踵を返す。

向かう先は、“アイサガ”。あの奇妙な人物と、そして古城に眠ると言われる“剣”を求めて。

 

第4章 境界の森──漏れ出す影

 バーデン=ビュルテンベルクの北部、”イナレ”と”アイサガ”の境界付近。森を抜け、湿原地帯に入ると、空気の匂いが変わった。土と草の湿った香り。その奥に、金属を焼き焦がしたような刺す臭気が混じる。

背中に背負ったツヴァイハンダー「ジルガレイド」を軽く揺らしながら先に進むと、何かが暴れた痕跡を見つける。ぼっかりと巨大な穴が開いており、辺りには近くの民家の家畜牛の死体が転がっている。傷跡は巨大な歯形と犬歯の跡がついており、更に近くには巨大な獣の足跡も残っている。

「クマじゃねぇ。デカすぎる。脚の幅も・・・おいおい、これは“イナレ”由来だろ。はみ出しモンか?やべぇな。人里が近いってのに。」

その時、遠くから地響きが伝わってきた。

――ズゥゥゥン……ッ!

「来やがったな。」

 草花が揺れ、けたたましく何かが破壊される音が響き、空気が震える。次の瞬間、巨大な影が飛び出した。四本の脚。象を思わせる巨体。背中には骨質の突起が連なる。鉄板のような皮膚は鈍く黒紫色に光り、額には黒曜石の角が一本、空を裂くように生えている。その二つの複眼が、シルヴィアを捕捉した。

――ベヒーモス

“イナレ”の生体研究で生まれ、本来なら外に出るはずのない怪物。

「やっぱ漏れ出してやがんのかよ・・・くっそ面倒くせぇ!」

咆哮が辺りを震わせる。ベヒーモスは巨体に似合わぬ速度で突進してきた。

「はいはい、暴れんなって!」

シルヴィアは迫る角を紙一重で避け、地を蹴って高く跳ぶ。剣が煌めき、巨獣の背に浅く切り込んだ。だが刃は弾かれ、火花が散る。

「っ・・・硬ぇな、おい!」

ベヒーモスが後ろ脚を跳ね上げ、シルヴィアを叩き潰そうとする。その一撃は巨木すらへし折る威力だが、彼女は寸前で滑り込み、足元に潜り込む。

「足を狙う・・・ここだッ!」

剣が唸り、前脚の関節に食い込んだ。獣が咆哮し、体勢を崩す。倒れ込む巨体を、シルヴィアは地形を利用して踏み台にし、跳躍する。まっすぐ額の角、その根元へ向かって剣を構える。

「寝てろォッ!!」

斬撃が走り、黒く輝く角が根元から断ち折れた。そのまま剣先が頭蓋へ深々と突き刺さる。巨獣は痙攣し、やがて静かに沈黙した。

「やれやれ。クマ扱いされてんのが、お前も不憫だな。」

肩の力を抜き、剣を払う。遠くから、微かにサイレンの音が聞こえた。政府の隠密部隊だ。 

「来たか。“駆除班”のおでましってか。見つかる前にズラかるかね。」

森のほうへ歩き出したその時、

「ま、待って!」

声に振り返ると、小高い丘の陰から、ひとりの女性が駆け寄ってきた。淡い栗色の髪。落ち着いた細い瞳。粗末な服装だが、妙に凛とした雰囲気を持つ。シルヴィアの目が、一瞬だけ細まった。

「・・・似てる。ヴァネッサに。でも違ぇな。歳も雰囲気も別物だ」

女性はベヒーモスの死体とシルヴィアを見比べ、息を呑んだ。

「これ、あなたが倒したんですか?」

「見てりゃわかるだろ。危ねぇから下がっとけ。巻き込まれたら死ぬぞ」

叱るように言うと、女性は怯えながらも首を振った。

「最近、こういう“もの”がよく出るんです。夜になると家畜が消えたり、森の奥で光が揺れたり。でも、政府は全部“クマの仕業”って。」

「だろうな。あいつらはなんでも握りつぶすのが仕事だ。・・・で、あんた名前は?」

女性はひと呼吸置いてから名乗った。

「イリーネです。イリーネ・マイヤー。助けてくれてありがとうございます。」

その声には、かすかに震えがあった。

シルヴィアは照れ隠しのように鼻を鳴らし、踵を返す。

「礼なんざいいよ。あたしはこれからハイルブロンのほうを目指すんだ。危ねぇ場所だ。あんたは家に戻れ。」

女性は何か言いかけたが、言葉を飲み込み、ただ彼女の背中を見送る。シルヴィアは湿原を抜ける中で、ふと振り返った。女性はまだそこに立ち、じっとこちらを見つめていた。

「あいつ、やっぱヴァネッサに似てんな。気のせいだよな?」

独り言のあと、北の方角へ鋭い視線を向ける。

「剣に魂を喰われる、ね。面白くなってきたじゃねぇか!」

胸に心を躍らせながら、シルヴィアは歩き出した。まだまだ試練は待ち構えているに違いない。その緊張感すら、愉しみながら・・・。

 

第5章 蒼騎士の試練──オーバーゲッツェンベルク城

 ハイルブロン北東部。深い森と岩肌の稜線が交わる丘の上、朽ちかけた古城が夜風にさらされていた。

オーバーゲッツェンベルク城──かつて騎士団の拠点だったはずの城は、今や荒れ果て、黒々とした影だけを残して空に突き刺さっている。そこを目指すシルヴィアの歩みは、湿原の戦いからの疲労を纏いながらも迷いがない。ジルガレイドを背に、崩れた山道を踏みしめ、城門へ向かう。

「来たな。思ったよりボロいな。」

城の石壁はひび割れ、蔦に覆われ、ところどころ崩落していた。だが、背筋がぞわりと粟立つ。

何かが待っている。そんな寒気が、風より先に肌を撫でた。城門を潜った瞬間、背後で風もないのに門扉が音を立てて閉ざされた。

「おいおい、ずいぶんと歓迎されてるっぽいな。」

城内は薄暗く、外に比べて不気味なほど静かだった。その静寂を破ったのは、足元の石板がカチリと沈む音。

「っと・・・マジかよ。」

床がぱっくりと割れ、針の林立する底が口を開く。シルヴィアは反射的に跳躍し、崩れる床を飛び越えた。着地の先で、壁がゴゴゴと動き出す。二枚の石壁が圧搾するように迫り、通路を押し潰そうとしていた。

「やれやれ、趣味悪ぃ城主だな!」

全力で駆け抜け、狭まる壁を滑り込んで抜ける。背後で“ガチン”と石壁が激しく噛み合う音が響いた。その先の大広間は、天井が崩れて月光が差し込み、粉塵が光の帯の中で舞っていた。そこだけが妙に神聖で、そして不吉だった。

「ほんと、気味悪りぃな。ずっと、誰かに見られてる気がする。」

 螺旋階段を登るほどに、空気は冷え、重く、濁っていく。ただの古城ではない、邪剣の気配が満ちている。階段を上りきった先、朽ちた両扉がわずかに開いていた。シルヴィアが押し開けると、そこは城の玉座の間だった。

 高い天井から垂れ込める闇。床に散らばる壊れた鎧と骨。そして、その中心に 一本の剣が深々と突き刺さっていた。

金属とも石ともつかない漆黒の刀身。脈打つような朱の紋様は受肉しているように見える。柄から滴るかのような禍々しい光。そして、柄と刀身の狭間に付いているギョロリと見開いている”眼”。

ソウルエッジ。

「ようやくお目にかかれたな。 “災厄の元凶”さんよ。」

そう言いながら歩を進めた瞬間、空気が震えた。床の影がうねり、城内の残響が巻き戻るような低音が響く。そして、剣の前に“それ”は立っていた。

全身を蒼い鎧に包み、兜の奥では燃えるような残光が揺れた。鎧は古く、割れ、錆び、しかし存在そのものは揺らいでいない。音もなく、ただそこに現れた。

 亡霊。

 記憶。

ソウルエッジが生んだ精神体。

「蒼騎士(ナイトメア)かよ。そりゃそうなるわな。」

亡霊は剣を持っていない。だが、腕を振っただけで空間が裂け、刃のような衝撃が飛んだ。 そして、次の瞬間、地面に突き刺さっていたソウルエッジはナイトメアの手に収まっていた。 シルヴィアは横跳びで回避し、回り込みざまにジルガレイドを振るう。しかし、

「っ・・・硬っ!?ベヒーモス以上かよ!」

手応えが巨獣を斬ったときより鈍い。刀身は弾かれ、青白い火花を散らす。蒼い鎧は、実体よりも先に影だけが先に動いてくる。妙な感覚にシルヴィアも若干戸惑う。・・・次の瞬間、蒼騎士の斬撃が迫る。

まともに喰らえば、体は真っ二つだ。シルヴィアは身を沈め、ぎりぎりの距離で回避する。剣を振り上げ、鎧の肩口へ裂帛の一撃を叩き込む。甲冑が砕け、蒼光が溢れた。

「効いてる??効くんだな?!なら、続けるだけだ!」

亡霊は無言で、ただ冷たく、執拗に、凶暴に迫ってくる。玉座の間の床は戦闘の衝撃でひび割れ、壁が崩れ、瓦礫が降り注ぐ。

シルヴィアは何度も吹き飛ばされ、甲冑のガントレットに打たれ、血を吐き、それでも立ち上がった。蒼騎士の動きが、一瞬だけ止まった。

その胸に、光が集まる。過去の戦士の怨念か?邪剣の記憶か?何かが、最後の一撃を構えた。

「来いよ。あたしは、剣に喰われる気はねぇ」

シルヴィアは大きく息を吸い、ジルガレイドを構え直す。

「これでも結構、修羅場ぁ潜ってきてんだよ!今さら負けてたまるかよ!」

蒼騎士が踏み込む。シルヴィアも地を蹴る。刹那、二つの影がぶつかり合う。

剣と剣がぶつかる閃光と衝撃波。光が解け、現れた姿は・・・孤狼の女用心棒だった。

蒼い鎧は、自分の敗北を認めるかのように・・・ゆっくりと、霧のように散っていった。

 

 荒れ果てた大広間に、静寂が戻る。シルヴィアは膝をつき、荒い息を吐いた。

「勝った、のか?いや、違うな。」

勝利の余韻より先に、視線が自然とあの剣へ向く。

ソウルエッジ。古の邪剣・・・。

蒼騎士が振るっていたのは幻であったかのように、邂逅した時と同じ状態で、地面に突き刺さっていた。黒い刃は、まるで彼女を待っていたかのように脈打った。

「握ったら、戻れねぇ気がするな」

だが、選択の余地はない。これが目的でここへ来た。この剣を巡って、また何かが始まる。

シルヴィアはよろめきながら立ち上がり、剣へ手を伸ばす。

指先が、柄に触れた。

金属の冷たさではない。

心臓の鼓動のような熱。

吸い込むような気配。

「・・・ッ!!」

その瞬間

視界が真紅に染まる。世界が軋み、何かが囁き、魂の奥底に黒い水が流れ込むようだった。そして

 

物語は途切れた。

 

     ―― イヴィル・シルヴィア編へ ――